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2022.10.13追悼・燃える闘魂と長女

突然の訃報、アントニオ猪木死去のニュースは日本中を駆け回った。

私も猪木世代で、中学校の頃からプロレスを見て、猪木の戦いぶりを見て心が躍ったものである。

1998年4月4日、アントニオ猪木引退試合が東京ドームで行われた。

私はこの日の朝、身重の妻の許可を得て、当時の同僚数人と東京ドームにはせ参じた。

東京ドームは割れんばかりの声援と熱気で包まれている。

猪木のテーマ曲、炎のファイターINOKI BOM BA YEが流れる。颯爽と猪木が入場すると歓声で東京ドームの天井が揺れた。

全ての観客が猪木に釘付けであった。

ゴングが鳴り試合が始まった。試合はグランド・コブラツイストでドンフライを秒殺。

東京ドームは最高潮に包まれ、私もその真っただ中にいてボルテージが上がっていた。

その後の引退セレモニーであの言葉が発せられる。道。

興奮冷めやらぬまま、同僚たちと夕食を取ろうとお店に入ると、携帯電話の着信履歴が…。留守電まで入っている。

留守電を確認すると、義兄からの電話だった。

内容は…産気づいた妻が病院へ向かったと…。

同僚との試合後の反省会をキャンセルし電車に飛び乗り病院に向かう。。。

「まだ予定日より1週間も早いから大丈夫だよ。猪木の引退試合行ってきなよ。」

その言葉に甘え引退試合を見に行ったことを後悔した。

子供の出産に間に合わないなんて…。生まれてくる子供にそのように言い訳をすればいいのだろう。

まだ出て来るな、間に合ってくれ…。電車の中でそんな思いが頭の中を支配していた。

駅を降り病院までは猛ダッシュ。夜間出入口から病院に入ると、そこには義母と義兄が。

まだ産まれていない様子。全身から力が抜けた、間に合った…。

1998年4月5日午前2時、我が家に元気な第一子の女の子が誕生。

しかし間に合って良かった…。

だから忘れないあの猪木の言葉。

この道はどうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめは道は無し。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。

この言葉、胸に刻みながらこれからも歩んでいきます。合掌。

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