2013.06.19無事是名馬也
日本のプロ野球で、2000本安打と1000打点を達成した選手は、過去に28人しかいない。キャッチャーでは野村克也と古田敦也の2人。今年3人目の快挙を成し遂げたのが中日の谷繁元信。激務に耐えながら、こつこつと記録を積み重ねてきた。
古田敦也は1965年生まれ、谷繁は1970年生まれ。恥ずかしながら私、1968年生まれ。彼らとは同世代。今でも現役で頑張る谷繁は42歳。古田が引退した年齢だ。しかも古田は晩年監督業に専念していた。レギュラーで頑張る谷繁には頭が下がる。
その谷繁に「キャッチャーに一番求められる要素は?」と問うと「体の強さ」という言葉が返ってきたそうだ。ケガの多いポジション、あそこが痛い、ここが痛いと言って休んでいたら仕事にならない。もちろんピッチャーの信頼も得られる訳がない。「無事是名馬也」とは、谷繁のためにあるような言葉だ。この谷繁にこんな逸話がある。
横浜でレギュラーを獲ったばかりの頃、試合終盤になるとベンチに下げられた。クローザー佐々木主浩の信頼を得ることができなかったのだ。その頃、横浜には秋元宏作というキャッチャーがおり、捕球技術には定評があった。
ある日、「なんで俺じゃダメなんですか?」意を決して谷繁は佐々木に訊ねた。「オマエより秋元の方がオレは安心して投げられるんだよ」。大魔神佐々木のウイニングショットはフォークボール。ワンバウンドになっても必死で止める秋元の姿勢を佐々木は買っていたのだ。
「じゃあ全部止めれば使ってくれるんですか?」「そうだ」
その日以来、谷繁はワンバウンドの捕球練習に明け暮れたそうだ。気が付くと100個入りのボールケース2個がカラになっていた。谷繁はここまでして佐々木の信頼を掴み、98年の日本一に貢献する。自身初のベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝いたのもこの98年。
キャッチャーほど経験が重視されるポジションはない。「今の若い選手は負けても悔しさを表さない。ちょっと物足りなさを感じます」。自らを「昭和の男」と呼ぶ谷繁。まだまだ老けこまず、頑張ってほしい。「昭和の男」同世代として応援してます。